子供を仕事に連れて行くのはアリナシ問題

働き方

過去には歌手、アグネス・チャンさんが「子供を楽屋に一緒に連れて行っている」と話したことから「プロ根性に欠ける」と、批判されたり、最近の「子連れ出勤推奨」に賛否両論色々な意見が出たりと、女性が社会で「活躍」するようになってからこの論争は続いているのだが、結局のところ、論点は「仕事を優先するか、子供を優先するか」の議論のように思われる。これは全ての働く母親が直面するジレンマであり、「母親」と「社会人女性」が日本社会の中でどう定義されているかも関係してくる。

日本は男女平等ランキングで、先進国ではワーストの110位。
「自分らしさ」ではなく、「社会一般で定義された女性らしさ」がまだまだ求められる風潮にあり、女性は家事全般を担いながら男性と同じように仕事をする事を実質的に求められている。女性「活躍」社会ではなく、女性「酷使」社会である。
結婚においても、日本では女性は夫の「家に入る」という感覚がまだまだ根深くあり、「姑」と「夫」、「嫁」のヒエラルキーや圧力に苦しんでいる人も私の周りにも沢山いる。

子供が幼稚園に入り、最近は連れて仕事に行く機会は減ったけれども、生後6ヶ月の頃から母に預けられない時は一緒に会議や打ち合わせ、通訳の現場に連れていっていた。予想していたのは、特に年配の男性からのお叱りだったが、実際は仕事で出会う全ての人が優しかった。
しかし、「働くお母さん」になった古くからの友人の何人かからは猛烈な批判があった。
子供を連れて仕事に行くなんて非常識。ありえない。人として最低。自分は特別とか能力があるって言いたいの?
友人だと思っていた人たちからのほとんど感情的な意見に、私も必死で生きているだけなのにと虚しくなったけれども、逆に彼女たちが日々感じているであろうフラストレーションも身を刺すように感じた。

仕事と子供のどちらを優先するか

結論から言うと、親は自分のできる範囲でしか子育ても仕事もできない。そして、そのキャパシティーは一人一人違う、と、思っているので、「これが正しいです」や、「こうすればいいです」は、私には何も言えない。娘もまだ小さいので、これから猛烈にグレたり犯罪に走ったりするかもしれないので、「この子育てがベストです」も、とてもじゃないけれど、言えない。
ただ、私が今どう思って、何をしているのかは「戦略を立てる」ことを本業としている手前、多少参考になるかもしれない。苦悩して右往左往している一人の母親がここにも一人いると思ってもらえればと思う。

我が家は母子家庭で、親一人子一人だから、将来娘が「必死に仕事をする母親の背中を見て育ちました」と、言わせるのだけは絶対に嫌だと思っている。「寂しい」と、いう想いが子供に悪い影響を与える可能性は高いし、単純に、寂しい思いをさせるのは、親として辛い。なんで産んだの?なんで生まれてきたのだろう?と、いう疑問を持たずに育てるのも私の義務だと思っている。
同時に、私は彼女の生活を保障していかなければいけない。お金がないから勉強ややりたい事を諦めた、という環境はできるだけ避けたい。そうするとやはり、仕事をしなければならない。それも、効率よく。

仕事の時間と子供との時間のバランスが取れてきたのは本当に最近だ。全ての仕事が最初から順風満帆だったわけでは全くなく、今までの3年半、落胆したり、怒ったり、悔しい、恥ずかしい、いくつもの思い出したくないような経験を通して自分のポテンシャルや許容範囲を少しずつ知って、調整してきた。そして、今保っているバランスも非常に危ういものだ。何か一つピースが変われば、また調整しなければいけない。

不器用だなぁ、と自分でも思うのだけれど、初めての子育てで予測できないことが多く、右往左往しながら何とか今までサバイバルしてきた。私自身、体調管理は仕事をしていく上で当たり前だと思っていたけれど、子供がもらってきた風邪がうつり、こじらせる事も多く、どうしようもない事がたくさんあるんだなぁ、と思うようになった。

以前フリーランス仲間で、しょっちゅう体調を崩していた新米ママを、「それでもプロなんだから」と、冷ややかな目で見ていた事を思い出し、恥ずかしい気持ちになった。どれだけしんどかっただろう、と、5年前、結局プロジェクトから離れていったその人のことを未だに思い出す。彼女は今、専業主婦だそうだ。
実際に自分がその立場になってみなければわからない。そこで初めて、自分以外の人のことも理解できるし、自分が本当にどうしたいかもわかる。

私は子供を優先する。そう一本筋を通したことで、自分も、周りの人にも理解してもらいやすくなったし、自分も判断を迷わなくなった。もしもの時のことを考えて普段から準備するようにもなったし、全体的な仕事のクオリティーは上がった気がしている。

子供を仕事に連れて行くことのメリット・デメリット

子供を仕事に連れて行くことの最大のリスクは、「心象を下げる可能性があること」。
子供が職場にいる事を多くの人はどう思うか。

子供は場所に慣れるとわがままになる。テンションも上がるし、楽しくもなってしまう。そこで、親がどれだけ子供をコントロールできるかが鍵だと思う。私はドッグトレーニングを学んでいたことが功を奏して、「あ!」の一声で私の愛犬も愛娘もとりあえず動きを止める。理由は単純で、その行動を続けていたら、その楽しい場を退場になるからだ。オフィスの中でも危険なものや場所は沢山ある。遠隔操作、つまり、声の指示が効かない状態では、連れて行くことにデメリットしかない。

それに、親が怒ってくれなかったら、他の人からは何も言えない。子供を連れて行く、というこちらのわがままを聞いてもらっている。子供が愚図ってしまうのも仕方がない事だけれど、ある程度子供が愚図らないように準備をして行くことも大切だし、愚図ってもすぐに解決できたり、事前にしっかり言い聞かせておく。
これから行くところは、他の人が仕事をしているところであなたのお家じゃない。大きな声を出したり、走り回ったりする権利は無いのだよ、と完全に理解してはいないと思うけれど、私の気迫だけは子供にしっかりと伝えている。

こうやって私は毎回、自分の心象を下げないための必死の努力をしている。だって、私だったら、自分の子供もコントロールできないコンサルタントに海外のはちゃめちゃなクライアントをコントロールできるとは思わないから。

子どもに見せたいのは多様性

子供と一緒に仕事をするメリットは、子供に働く姿を見せられる事だと思っている。
私の娘は、基本的に私は「お仕事」という名のおままごとをしていて、それをすごく楽しんでいると思ってくれている。彼女は、私が落ち込んでいる姿や悔しがっている姿、慌てている姿も全て見ている。
それでも楽しんでいると彼女が思ってくれているのは嬉しい事だし、実際、私もとても楽しい。私たちが子供の頃に思っていた「大きくなったらお嫁さん」ではなくて、彼女の世代は人生のほとんどの時間を仕事をしながら過ごすことが当たり前になっていると思う。

私は娘を官公庁から一般企業、アーティストとの打ち合わせ、変な人たちが集まる会合にも連れて行く。お寺のインタビューや、美術館の裏側もお願いして見せてもらったこともあった。海外出張に一緒に行って、無理をさせ体調を崩してしまったこともあったけれど、色々な国の人やさまざまな景色に出会えてよかったと思っている。

私が娘に見せたいのは私の仕事をしている姿だけではない。一番知ってもらいたいことは多様性だ。色々な人の人生に少しずつ触れることで、いろんな人がいて、いろんな生業がある。いろんな生き方がある。そして、それは全て総じて楽しい、ということだ。

結局、子育ては「できるようにしかできない」

子育て、仕事、生きて行く上で何にでも当てはまることだと思うのだけれども、一番大切なのは「できるようにしか、できない」と、いうこと。誰かのマネや、背伸びをしたって、自分にそれが向いているか、心地いいかは分からない。エッセンスを取り入れることは可能だけれど、子供を抱えて誰かの完全コピーなんて、難しい。

私は今風邪をひいていて、声が出なくて、部屋は踏み場もないくらいおもちゃで散らかり放題。台所からはちょっと異臭がしているけれども、いいじゃない、と思えるようになってきた。
膝の上から離れない15キロのお嬢さんも、いずれは「触らないで」、と言われる日が来るかもしれない。この人が私にひっついていたい間は、「重いなぁ、仕事できないよ」、と言いながら一緒にゴロゴロしようと思う。そして、空いた時間で全力で仕事をしようと思う。

日々の生活に没頭しているとすぐに忘れてしまうけれど、この人がこんなに頼ってくれて、こんなに一緒にいてくれる時間は、減っていく一方なのだから。
それから後は、また今までと同じように、一人で机に向かい作業に没頭する日々に戻るのだから。

大事なのは多様性だと思う。

文明と初めて接触したアマゾンの部族の中でも、どんどん文明化されて消滅していく部族もいれば、頑なに自分たちの習慣を守っている部族もいる。その中間の部族もいる。
集団生活の最小単位は家庭だ。
色々な家族があって、いいじゃない。
色々な人がいて、いいじゃない。
色々なルールがあって、いいじゃない。
そう思える人が世の中に少しずつ、増えていけばいいなと思う。

私は、ちょっと洋服を着たりテレビは見るけど、大好きな部族の祭りはしっかりする、みたいな部族を目指そうと思う。

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