家にアートを飾るということ

アート

アートが好きだ。

 

先日、一緒に仕事をしているモダンアートのアーティスト、山口真人(やまぐちまさと)氏の海外展開の仕事のギャラとして、お金ではなく以前から欲しかった彼の作品を所望してみた。お金よりも絵が欲しい、という私に山口氏は「佐伯さんのギャラリスト魂が凄い!」と快諾してくれた。労働力と彼の作品を物々交換してみたのだ。

山口氏はAIを搭載したロボットと一緒に作品を作るという独特のスタイルで、精力的に作品を生み出しているが、それでもやはり、彼が一生のうちに制作できる作品数は限られている。自分が本当に良いと思った作品は手元に置いておきたいという願望が、彼の絵を扱うようになってからまさに「ふつふつ」と湧いてきていた。絵を「見る」のではなく、「売る」そして「買う」ものとして扱う仕事が、私の視点を知らない間に変えていたのだ。

それから、堰を切ったようにモダンアートを集めたい欲が爆発して、この1ヶ月の間に更に2人のアーティストから作品を買うことを決めた。海外で誰かの作品が欲しくなることは多いのだけれども、持って帰るまでに破損したら嫌なので、今まで私はエディション、と呼ばれる数量限定のコピー作品しか購入したことは無かった。

やはり、オリジナルは迫力、というかオーラが違う。家に届いた山口氏の作品を目の前に見ながら、モダンアートをコレクトする魅力をすこしでも多くの人に知って欲しいと思い、少々興奮しながらこれを書いている。

絶滅の危機にある日本モダンアート

私は、残念ながら絵心が全くなく、すべてのものを平面でしか表現できないので、クリエイティヴィティーと画才の両方に恵まれた人たちが生み出すものにすごく興味がある。何よりも、作品が世の中に出てくるときに、その人の「創造力」だけが介在して、これだけ多種多様な表現が世の中に存在することに畏怖の念を感じる。

私たちの多くが忘れがちなのが、アーティストは死んだ人だけがなれるものではないということ。今、私たちと同じ時代を生きているアーティストたちが、数は多くはないけれども、素晴らしい作品を生み出しているのだ。

しかし、このままでは日本のアートシーンは終わってしまうと思っている。アンテナをかなり張っていないと、モダンアートの情報は入ってこないし、個展も主流はフェルメール展やルーブル展などのもので、日本では社会的に、モダンアートの存在感は非常に薄い。

現状ではアーティストたちは生活していけないし、今、世界で成功しているアーティストたちもみな、海外のギャラリーが売り出して成功している。成功したいアーティストはみな、海外に出て行ってしまうだろう。

この流れはもはや止まらないだろうけれど、もう少し、今、私たちと同じ時代を生きているアーティストがアートで生業を立てられるような世の中になればいいなと思うし、したいと思っている。

日本人の大半の記憶の中では、モダンアートは岡本太郎で止まっている。草間彌生さんや村上隆さんは、どちらかというとポップアーティストとしてのイメージが多いのではないだろうか。彼らも、れっきとしたモダンアートのアーティストである。

モダンアートの敷居が高い理由

日本では、Made in Japanのモダンアートにお目にかかる機会が少ない。普通に生きていて、「モダンアート」に出会う機会もほとんどないし、アーティストに出会うことは本当に少ない。日本ではひっそりと棲息しているか、もしくは、「日の目を見なくても、製作できているだけで幸せ」と、自分の目標をできる限り下げてアーティスト活動をしている。

アートと接する機会が少なく、美術論を学ばないお国柄から、「アートは何か」を理解している人が非常に少ない。この辺りのことについてはまた別の機会に書くけれども、モダンアートに限って話をすると、「アート」と「アートに似たもの」の線引きについては、簡単に言うとそこに「文脈」「歴史」そして、「哲学」があるかどうかだと思っている。

ここは、好みの問題も多いかもしれないけれども、私はエンタメ的な要素が多いものは「絵」と認識している。そこに、深い知性と作家本人の内面性を汲み取ることができるものを「アート」だと認識している。

この辺りが、モダンアートが難解だと言われている所以だし、社会的バイアスがかかりやすい日本人にとっては、自分の物差しで何かを「いい!」と判断することにも気後れする。さらに、誰かが作ったものに値段をつけるという作業は非常に難しい。気軽に誰かの作品を買う、ということがなかなかできない環境だ。

しかし、結局、好きなものは好きだし、家に連れて帰りたいものは家に連れて帰りたい。理屈ではないのだ。そして、「理屈ではない」と、思えるところまで到達するには、やはりそれだけ多く作品に触れて直感的な好き嫌いを判断するだけの「軸」みたいなものを自分の中に持たなければいけないし、自分の感性に関してある種の「開き直り」も必要だ。

これは、服とか食器とかインテリアとかを買うときの感覚にどこか似ているかもしれない。自分の日常生活に関わるものであれば、目に触れる機会が多いので、比較的情報量が多い。しかし、モダンアートともなれば、積極的にギャラリーに行ったり、自分で積極的に情報を集めたりしなければいけない。ここもまた、難しいところなのかもしれない。

アート作品はそんなに高くない

アート作品はいくらぐらいするのだろうか…。私たちの耳に比較的新しいモダンアートのニュースは2017年、ZOZO TOWNの社長、前澤氏が123億円でバスキアの絵を落札したことだろう。

ピカソなどの天文学的な数字の額ばかり聞いているので、多くの人は、アート作品はものすごく高い値段でやり取りされていると思っているかもしれない。しかし、現実には3〜5万円で購入できる作品もたくさんある。

上を見ればキリはないけれども、これも、服や家具を買うのと同じで、身の丈にあった値段のものやその時の懐具合と気分で決めればいい。そして、モダンアートはギャラリーに行かなければ手に入らないものではない。私がどこでどうやって、モダンアートを買ったかといえば、一つは多くの人がアカウントを持っているInstagramである。

ある日、素敵な桜の絵を投稿していたイギリス人の女性がいて、その絵を購入できると書いてあったので、値段を聞いてみた。日本の運賃まですぐに調べてくれて、日本円にして4万5000円くらいの買い物だったのでほぼ即決した。色合いが、我が家のリビングに合うと思ったのだ。

最近は便利な支払いシステムが増えていて、相手にクレジットカード番号を渡さずに済む。PayPalを通じて支払いができるので、カードを悪用される心配がなく、安心して買い物ができる。届いた時に「思っていたのと違う」を避けるために、アーティストの人がビデオを送ってくれ、色調も細かく教えて貰って、納得してから購入した。

意思表示としてのアート

もう一つの作品は、以前私がコロンビアに行った時に知り合った絵本作家のベネズエラ人アーティスト、マリア・ソリアスのもの。

マリアはコロンビアで何冊か本を出版していて、出版社の紹介で出会い、同年代であることもあり、意気投合した。彼女の絵は好きだったけれども「買う」という発想はつい最近まで無かった。

先日、彼女は母国のベネズエラに「不法入国」し、自分の生まれ故郷がまるで映画のように「消滅」しているのを目にし、非常にショックを受けていた。私が彼女を好きな理由は、根っからの表現者だから。

ベネズエラが内乱状態になっていることは、今の大統領に依るところが大きい。海外メディアでは、毎日のようにベネズエラの惨状が報じられている。スーパーには物がなく、薬も、食べ物すらない。ゴミを漁る人も増え、人々はギリギリの生活に追いやられているにも関わらず、利権を貪る人たちは裕福な生活をしている。

マリアは直接的な言葉で政権や今ベネズエラを全く批判しない。彼女は作品を通して、そこに描かれている人たちの姿だけで、今のベネズエラへの思いを語りきっている。私はこれを、世界で一番エレガントな抵抗だと思っている。そんな彼女を応援したいと言う気持ちもあり、どれか作品を買わせてもらえないかと打診して、今、値段やどの絵を購入するかを相談している。彼女の作品を日本で展示する機会が欲しく、今、ギャラリーを探している。

このように、アーティストと直接コミュニケーションが取れるので、アーティストの人となりや、作品について深く聞くことができるのも、モダンアートの楽しみだ。「死人に口なし」で、死んでしまっている人の絵は資料に頼るしかないのだけど、やはり、現代のアーティストが何をみて何を感じるかを直接知ることができるのは、非常に貴重な経験であり、贅沢だ。

投機的な楽しみ

もう一つの楽しみは、私が様々なジャンルのアーティストの作品を海外に売る仕事をしていることと関連する。私の仕事は、作品のブランディング・マーケティング・セールスをして、作品を「流通させること」と、「少しでも高い値段で売ること」、つまり、作品の価値を上げる部分を担っている。

もちろん、アーティストや作家の力がないと作品の価値を上げることはできないのだけれども、海外に関しては、避けられない泥臭い努力を私が肩代わりすることで、アーティストはより製作に没頭できて、良い作品が売れると思っている。

そして、作品が「どのように」「どう素晴らしいのか」「どのような哲学のもとでこの作品が生まれたのか」をより海外のギャラリーやコレクターに理解しやすい形で伝え、絵の付加価値を上げる。そこで、そのアーティストの作品が流通するようになれば、作品は株と同じ動きをする。欲しいと思う人が増えれば、値段が上がる。そして、一度上がった作品の価値は、よっぽどのことがない限り、価格が下がる事はない。

例えば今回、山口氏の作品がとても好きだという単純な理由のほかに、今、現金でギャラを貰うより、彼の絵を手元に置いておく方が将来的にはメリットが大きいと判断したので、今、絵が私の手元にある。価値を上げたい!というモチベーションも上がるし、仕事が実益を兼ねた本気の趣味になったのだ。こんなに楽しいことはない。

購入するために何か「自分、もしくは誰かに言い訳が必要」な人はこの投機的な面にフォーカスして作品を購入したらいい。これから頭角を現しそうなアーティストを探して、価格が安いうちに作品を購入し、価格が上がると売却する。今から、のアーティストに投資することで、新しい作品の制作につながる。そして、作品量がある程度増え、流通するようになれば自ずと価値は上がってくる。

モダンアートは、色々な側面があり、非常に知的でエキサイティングなのだ。

ギャラリストになる

36歳にして、ギャラリストになるという新たな夢が芽生えてきた。

自分が思っていた何十倍も、モダンアートが好きなのだ。

私はキュレーターの勉強もしていないし、芸術の専門家ではない。しかし、これまでの歴史の中で、商売人のギャラリストたちが作品の価値を作り、アートの譜系を生み出してきた事は間違いない。ピカソもレンブラントも、ギャラリスト達が見出し、磨いて、世の中に出した。そんな仕事をもっとしてみたい、と考えた時に、自分のギャラリーを持ちたいと思った。パリやニューヨーク、東京にも。作品の価値を無限に上げられるギャラリストになりたい。最近、特にそう思う。

娘は、自分よりも大きなアート作品を暇さえあれば眺めている。ちょっと表面を触ってみたり、使ってある色を数えたり、作品の前で一心不乱に絵を描いたり、新鮮な感性を持っている子どもは早速影響を受けている。

モダンアートが家に来てから、家の中に新しい空気感が生まれた。リラックスとインスピレーションが湧いてくる。

もっと多くの人に、この感覚を味わってもらいたい。日本でもアートをもっと手軽なものになればいいのにと、何かできないか考えている。服や家具を買うように、カジュアルに生活にアートを取り込んで、アートが生み出す生活の質の変化を体感して欲しい。

絵を見て、手が止まり、感嘆のため息が出る瞬間を、家の中でも感じて欲しいのだ。よく言われている、ワークアウトや単純なリラックスだけでは得ることができない、新しいベクトルの「精神的な豊かさ」を感じることができるから。

作品を手元に置く。その喜びを経験した人はもうギャラリストだ。好きなものが生活の一部になる。その楽しみをもっと多くに人に知ってもらいたい。
日本にアートファンが、ギャラリストがもっと増える土壌を作る。これが、ギャラリストとしての、これからの私のライフワークになると思う。

アーティスト紹介

◇山口真人 (Masato Yamaguchi)

https://instagram.com/yamagch

◇Mría Solías

https://instagram.com/mariasolias

 

 

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